五代友厚銅像 ごだいともあつどうぞう
大阪の商工業の発展に尽力
大阪に商法会議所を設立し初代会頭となるなど、大阪の商工業の発展に尽力した五代友厚の銅像です。
1961年11月12日、坂上政克によって制作されました。1981年3月31日移設。
(五代友厚について)
1835(天保6)年~1885(明治18)年
鹿児島市城ヶ谷(現長田町)で生まれる。
8歳の頃、藩校の造子館に入り、学問と武芸に励む。12歳の時、藩主島津斉彬から外国の地図を写す仕事を任せられた友厚の父は、この仕事を友厚にさせた。その時、友厚は2枚の世界地図を作り、1枚は斉彬に差し出し、1枚は自分の部屋の壁に掲げた。また、直径2尺余りの地球儀を作成したというエピソードが残っている。
1862(文久2)年、藩の命令で中国の上海に渡り、ドイツ汽船「天祐丸」を買って帰り、その船長となる。
1863(文久3)年、薩英戦争が始まり、寺島宗則とともに捕虜となり、1年間藩に戻ることは許されなかった。
1868(明治元)年に新政府の役人になったが、1869(明治2)年7月、実業家になることを決めて役人をやめる。
1878(明治11)年、大阪に最初の商法会議所や株式取引所、大阪商業高校(現在の大阪市立大学)を建て、大阪の商業の発展に力を注ぐなど、自らが起こしたもの、設立に関わった事業は数多い。
1885(明治18)年9月に50歳(満)で亡くなる。墓は大阪市阿倍市にある。
(参考:「もっと知ろうよ維新のまち」鹿児島市・平成23年3月発行)
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基本情報
住所 | 〒892-0822 鹿児島県鹿児島市泉町 |
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アクセス | ・市電「朝日通」から徒歩約2分 ・カゴシマシティビュー「金生町」下車徒歩約2分 |