坂本龍馬新婚の旅碑 さかもとりょうましんこんのりょひ

日本の新婚旅行のはじまりといわれる坂本龍馬夫妻の旅碑

1866(慶応2)年、龍馬とお龍は小松帯刀邸や霧島を訪れました。これが日本の新婚旅行のはじまりといわれています。
銅像は中村晋也氏によって制作され、1980(昭和55)年2月28日に設置されました。
(坂本龍馬とお龍について)
 坂本龍馬  1835(天保6)年~1867(慶応3)年
 お龍  1840(天保11)~1906(明治39)年

1835(天保6)年、土佐藩生まれ、のちに脱藩し、勝海舟の門下生となり、神戸海軍操練所の塾頭となる。

海軍奉行を解任された勝海舟の世話で、薩摩藩に保護される。

薩摩藩の支援を得て長崎で亀山社中(後の海援隊)を結成する。

薩長同盟の必要性を説き、薩長同盟成立に大きく貢献する。

1866(慶応2)年1月21日、苦心の末、薩長同盟を成功させた坂本は宿舎の京都伏見の寺田屋で幕吏の襲撃を受けて負傷、薩摩藩邸にかくまわれる。西郷隆盛の勧めに応じて、お龍との新婚旅行を兼ねて薩摩へ湯治旅行に向かう。3月10日に鹿児島に入港。仲睦まじい龍馬夫妻は、日当山から塩浸、栄之尾と温泉を巡り、谷川で釣りをしたり、ピストルで鳥を撃ったり、ミヤマキリシマが一面に咲く高千穂に登り、天の逆鉾をひきぬいたり、ハネムーン気分を満喫した。

平和な薩摩下りからわずか1年半後、京都近江屋で刺客に襲われ、陸援隊隊長の中岡慎太郎とともに33歳の生涯を閉じる。

(参考:「もっと知ろうよ維新のまち」鹿児島市・平成23年3月発行)


エリア
鴨池
カテゴリー
歴史・史跡

基本情報

住所 〒890-0061 鹿児島県鹿児島市天保山町
アクセス ・鹿児島中央駅から市営バス16番線「共月亭」下車
・鹿児島中央駅から車で約15分

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