西郷生誕200年 特別コース
- 所要時間:1時間
- 主な交通手段:徒歩
【西郷生誕200年特別コース】
西郷隆盛ゆかりの地を巡る特別まち歩き
2027年度の西郷生誕200年を記念して、西南戦争の決戦の地である城山周辺を巡る特別コースをご用意しました。 西郷隆盛にまつわる歴史やエピソードを、まち歩きガイドが分かりやすくご案内します。
特典
このコースにご参加いただいた方には、記念缶バッジをプレゼントします。
集合・解散場所
集合場所:西郷洞窟前
解散場所:西郷隆盛銅像前
集合時間:午前の部:9:50/午後の部:14:20
カゴシマシティビューバスをご利用の方
西郷洞窟前に9:48または14:18到着の便が便利です。(路線図・時刻表)
鹿児島弁でのご案内について
ご希望の方は、お申込み時の備考欄に「鹿児島弁希望」とご記入ください。
「鹿児島ぶらりまち歩き」へのお申込みはこちら
西郷隆盛ゆかりの地を巡る特別まち歩き
2027年度の西郷生誕200年を記念して、西南戦争の決戦の地である城山周辺を巡る特別コースをご用意しました。 西郷隆盛にまつわる歴史やエピソードを、まち歩きガイドが分かりやすくご案内します。
特典
このコースにご参加いただいた方には、記念缶バッジをプレゼントします。
集合・解散場所
集合場所:西郷洞窟前
解散場所:西郷隆盛銅像前
集合時間:午前の部:9:50/午後の部:14:20
カゴシマシティビューバスをご利用の方
西郷洞窟前に9:48または14:18到着の便が便利です。(路線図・時刻表)
鹿児島弁でのご案内について
ご希望の方は、お申込み時の備考欄に「鹿児島弁希望」とご記入ください。
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START
西郷洞窟
西郷隆盛が指揮をとった重要な史跡
明治10年(1877年)年2月、西南戦争において鹿児島城下を出発した薩軍は、九州各地で転戦したのち、8月に解散。その後西郷隆盛の一行は九州の山間地を越えて鹿児島を目指し、9月1日、再び城下に戻り、城山に立て籠もりました。
桐野利秋をはじめ私学校の幹部たちとともに、銃弾に倒れるまでの最期の5日間を過ごしたのがこの洞窟と言われています。西郷隆盛が最後まで薩軍の指揮をとっていた場所として重要な史跡です。
周遊バス「カゴシマシティービュー」の停留所にもなっています。
桐野利秋をはじめ私学校の幹部たちとともに、銃弾に倒れるまでの最期の5日間を過ごしたのがこの洞窟と言われています。西郷隆盛が最後まで薩軍の指揮をとっていた場所として重要な史跡です。
周遊バス「カゴシマシティービュー」の停留所にもなっています。
西郷隆盛終焉の地
西郷どんの最期の地「晋どん、もうここでよか」
明治10年(1877年)9月24日、西南戦争の最終末にあたり、城山を包囲した政府軍は一斉に砲撃を開始。西郷隆盛率いる薩軍は、敵陣目掛けて岩崎谷を駆け下り、最後の抵抗を示しました。西郷隆盛は腰と太ももに銃弾を受け、別府晋介の介錯によって最後を遂げたと言われています。満49歳でした。
西郷隆盛に従った幹部である桐野利秋、村田新八、桂久武、池上貞固、別府景長、辺見十郎太、が自刃ないしは戦死したところとして記念碑が建てられています。
西郷隆盛に従った幹部である桐野利秋、村田新八、桂久武、池上貞固、別府景長、辺見十郎太、が自刃ないしは戦死したところとして記念碑が建てられています。
私学校跡
西南戦争の激戦を感じる、西郷隆盛が創設した私学校跡地
1873年に政変で下野した西郷隆盛は、鹿児島の士族たちのために、鶴丸城の厩(うまや)跡に私学校を創設しました。
生徒数は100人、市内に10を越える分校ができ、県下に136の分校がありました。
西南戦争の際、この私学校の石垣に多くの銃弾が打ち込まれ、今なお激戦の様子を伝えています。
1968年に県の史跡に指定されています。
生徒数は100人、市内に10を越える分校ができ、県下に136の分校がありました。
西南戦争の際、この私学校の石垣に多くの銃弾が打ち込まれ、今なお激戦の様子を伝えています。
1968年に県の史跡に指定されています。
鹿児島城(鶴丸城)御楼門
日本最大の城門
鹿児島(鶴丸)城は、慶長6年(1601年)頃に、のちに島津家第18代当主・初代藩主となる家久が建設に着手した島津氏の居城で、背後の山城(城山)と麓の居館からなる城です。
居館の正面中央に、威風堂々たる「御楼門」があります。御楼門は、明治6年(1873 年)の火災で焼失しましたが、2020年に日本最大の城門として復元されました。
居館の正面中央に、威風堂々たる「御楼門」があります。御楼門は、明治6年(1873 年)の火災で焼失しましたが、2020年に日本最大の城門として復元されました。
御楼門と石垣の時間や季節に合わせて変化するライトアップを行っています。
- 時間:日没~22時00分(毎日)
- 場所:御楼門前(鹿児島市城山町7-2)
西郷隆盛銅像
城山を背景に堂々たる姿の西郷どん
江戸城無血開城や明治新政府樹立など、明治維新に最大の功績を残した西郷隆盛ですが、突然職を辞めて鹿児島に帰郷。 その後、西南戦争で新政府軍と戦い敗北し、この城山の地で自刃しました。
この像は、没後50年祭記念として鹿児島市出身の彫刻家で渋谷「忠犬ハチ公」の制作者・安藤照が8年をかけ製作し、昭和12年(1937年)5月23日に完成したものです。
わが国初の陸軍大将の制服姿で、城山を背景に仁王立ちする高さ8mの堂々たるモニュメントです。(本体5.76m、土台1.21m、築山7.27m)
道路を挟んで撮影スポットが設けられており、愛犬の像も一緒に写真撮影を行うことができます。
この像は、没後50年祭記念として鹿児島市出身の彫刻家で渋谷「忠犬ハチ公」の制作者・安藤照が8年をかけ製作し、昭和12年(1937年)5月23日に完成したものです。
わが国初の陸軍大将の制服姿で、城山を背景に仁王立ちする高さ8mの堂々たるモニュメントです。(本体5.76m、土台1.21m、築山7.27m)
道路を挟んで撮影スポットが設けられており、愛犬の像も一緒に写真撮影を行うことができます。
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