乃木静子 のぎ しずこ

1859(安政6)年~1912(明治45)年

乃木静子(旧名シチ)は、旧・塩屋村(現・甲突町)武の橋のたもとに薩摩藩奥医師、湯地定之の娘として生まれた。

湯地家は明治5年、東京に移り、明治11年に静子は乃木希典(後の陸軍大将、学習院長)のもとに嫁いだ。

乃木は、西南の役で連隊旗を敵軍に奪われて、軍人最大の恥辱をうけ、明治37年、八年戦役の旅順攻撃では苦戦し、多数の死傷者を出して、その作戦能力を批判する声があったにもかかわらず、深く信任された明治天皇に対する恩義を自分の生命をもってつぐなおうとして、天皇大葬の日に自決した。

妻静子は、堅苦しい夫、気むずかしいしゅうとめとの折り合いは悪く、しかも、子供は2人とも戦死して、その家庭は決して楽しいものではなかった。しかし、静子は家庭でも堅苦しく、軍人として批判をうけた夫の、人間としての誠実さを最もよく理解していた。

夫に従って、自分も死ぬことが良いか悪いかの判断をこえて、この夫との生活のほかには自分の生きる意味はないと思ったのであろう。夫の殉死(主君のあとを追って自殺すること)とともに自らの命を絶った。当時、その行動には褒めたたえる意見と批判する意見があったが、静子の死は武士社会の人間のあり方を示したものとして深い印象を与えた。

現在、武の橋の近くに誕生地の記念碑が建っている。

(出典:「鹿児島市の史跡めぐり人物編」鹿児島市教育委員会・平成2年2月発行)


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歴史・史跡

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