島津忠義 しまづ ただよし

1840年(天保11)~1897年(明治30)

島津久光の長男として生まれた。1858年(安政5)、第29代薩摩藩主になった。祖父の斉興、父久光の補佐を受け藩の政治を行った。斉彬のこころざしを受け継いで藩の政治の改革と陸海軍の充実に努めた。

1862年(文久2)の久光の率兵上京、幕政改革、生麦事件、薩英戦争には藩をあげて行動した。また、イギリスとの関係を改善して、五代友厚などによる留学生を送り、紡績(繊維をより合せて糸にすること)機械を買って、磯に日本最初の紡績工場をつくった。

幕府を倒す時には官軍の主力になった。その後、藩の土地や人民を朝廷に返した。自らは鹿児島藩の知事になり、のちに貴族院議員になった。幕末から明治維新の真っただ中に生きた忠義だが、性格は律気で、父久光の遺言で死ぬまでチョンマゲを切らなかったという。

(出典:「鹿児島市の史跡めぐり人物編」鹿児島市教育委員会・平成2年2月発行)


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歴史・史跡

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