コース9【1】:日本遺産 薩摩の武士が生きた町~武家屋敷群「麓」を歩く~ 麓の原風景を巡る-1

コース9【1】:日本遺産 薩摩の武士が生きた町~武家屋敷群「麓」を歩く~ 麓の原風景を巡る

  • 所要時間:2時間
  • 主な交通手段:徒歩

令和元年5月に日本遺産に認定された鹿児島城跡や「麓」と呼ばれる武家屋敷のうち、喜入旧麓(もとふもと)を歩くコースです。
「人は城」と言われるように、薩摩藩は各地に「麓」を造り支配していました。「麓」には石垣、用水路、武家門等があり当時の風景が残るコースです。

※このコースは7日前までに予約が必要です。
※参加料は申込時に郵便振込してください。(手数料は参加者負担)


集合場所:鹿児島市役所喜入支所
解散場所:鹿児島市役所喜入支所

集合時間
13:20

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鹿児島市役所喜入支所

旧麓(ふれあい広場駐車場)

肝付本家は島津氏と戦っていましたが、室町時代の中頃、本家と別れた肝付氏は早くから島津氏に従い、江戸時代の少し前に、領地替えでこの地を治めることになりました。2代の肝付兼篤から喜入に住み始め、肝付氏の家臣たちが暮らす「麓」ができました。それから約60年後、肝付氏が今の喜入小学校の場所に館を移し、新しい「麓」ができたことから、ここは「旧麓(もとふもと)」と呼ばれるようになりました。江戸時代には藩内に武士の集団が住む「麓」が約113か所あったと言われています。
公園の一角には、田の神さまが祀られています。

給黎城跡

給黎城跡-1
平安時代の終わりごろ、伊作氏が給黎氏と名前を変えて給黎城を築いたとされています。給黎城は本城・南ヶ城・北之城からなっています。
給黎氏の後、この地を治めた伊集院氏が島津氏と争い、この戦いに勝った島津氏は、この地を「給黎」から喜び入るという「喜入」に変えたと言われています。この時の戦いはかなり激しかったそうです。

武家門、門柱

武家門、門柱-1
右側の武家門は牧瀬家の武家門です。立派な門構えで、鹿児島市の景観重要建造物に指定されています。
「麓」のメインストリートである「馬場」に沿って流れる用水とともに、武家門の背景に給黎城の本城が望めるビューポイントになっています。

干支のオブジェ(旧麓研修センター)

旧麓研修センターは自治会の公民館で、いろいろな会合等があります。また、平成18年から干支のオブジェを住民で作っていて、よくテレビ等で紹介されています。
 

香梅ケ淵

香梅ケ淵-1
 ここの渕は季節や天気によりエメラルドグーリンなどに見える素晴らしい所です。上流には滝もあります。またルビビタキやアカショウビンなどの美しい鳥が見られることもあります。
しかし,悲しい伝説のある場所でもあります。この渕に身を投げた香梅という女性を哀れに思って、この渕を香梅ケ渕と呼ぶようになったそうです。この渕には美しく悲しい香梅の想いが込められているのかもしれません。

肝付家歴代の墓地

肝付家歴代の墓地-1
ここには,肝付氏の菩提寺玉繁寺がありました。3代から12代の代々当主のお墓と代々住職らのお墓があります。3代肝付兼武のお墓からの桜島の眺望は絶景です。幕末に大政奉還等で活躍した小松帯刀の実父で11代の肝付兼善、12代で兄の肝付兼両,母親のお墓もあります。(2代のお墓は向かいの山、香梅ヶ渕の近くにあります)
廃仏毀釈により明治2年には、県下に1616か所あったお寺がすべて壊され、玉繁寺も取り壊されました。現存する地蔵菩薩も頭部だけ壊されています。

南方神社

南方神社-1
南方神社はここを治めていた蒲生氏によって創建され、その後島津一族の喜入氏によって再建されました。
境内にはクスノキやムクロジなどの神木があり、神聖な雰囲気が感じられます。地域の人々はここを大切にして正月などにお参りし、五穀豊穣や一家の繁栄を祈願しています。
ここで平成27年、映画「ゆずの葉ゆれて」のロケがありました。この物語は、豊かな自然の中で苦楽をともにした夫婦の深い愛と一人の少年とのふれあいを描いた話です。老父を演じた津川雅彦さんと妻役の松原千恵子さんの素晴らしい演技が好評だったようです。

鹿児島市役所喜入支所

GOAL

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